ココカラハジメヨウ ウェブ、投資、美容、インビザライン

コラム

2021.08.10コラム

おばあちゃんと大学芋

車で10分ほどの距離に住んでいたおばあちゃん

しょっちゅう行き来があったのでよく会っていた。

 

私が幼稚園の頃

いつも行っているスーパーで大学芋を買ってきたら喜んで食べたらしい。

それ以来おばあちゃんの中で孫の大好物は大学芋になった。

 

おばあちゃんと大学芋

 

小学生になっても中学生になっても私が喜ぶだろうと家に来るたびに大学芋を買ってきた。

「○○ちゃんが好きだから」

 

私は大学芋は好きだけど、大好物ではない。

 

大学生になっても社会人になってもおばあちゃんの中で孫の大好物は大学芋。

三子の魂百までというけれど

おばあちゃんの記憶も3歳の時の私が一番残っているのかもしれない。

 

私はずーっとおばあちゃんが買ってくる大学芋を「おいしい、おいしい」と食べ続けた。

おばあちゃんが喜ぶと思ったから。

 

私が社会人になってしばらくすると、おばあちゃんは癌の全身転移が発見された。

10年前になった乳がんの再発がもう大丈夫そうだねと診断されて1年も経たない頃だった。

 

全身への転移のため手術はできず、放射線治療をすることになった。

 

治療を始めると会うたびに弱っていくおばあちゃん

それでも私は時間が経てばちょっとは良くなると思っていた。

 

母は介護の資格を取り、毎日のように通っておばあちゃんの面倒を見た。

入院してからも毎日毎日通った。

 

ある日、他県で暮らしている兄から電話があった。

「おばあちゃんってそんなに悪いの?」

母が喪服を用意しておけと連絡したようだ。

 

弱っているおばあちゃんは見ていたけれど、私は亡くなるなんて思えなかった。

「えー?一応じゃない?」

喪服、という言葉を聞いて胸はドキドキしたが明るく答えた。

 

それから数週間後、おばあちゃんは亡くなった。

 

おばあちゃんが私にかけた最後の言葉

「ごめんね、お母さんのこととって」

 

入院してからはどんどん弱っていき

何も食べられず何も飲めず、ほとんど喋ることもできなかったおばあちゃん。

 

力を振り絞って私にかけた言葉がこの言葉だった。

 

おばあちゃん、私もう24だよ…

4人いる孫の中で一番下だった私は最後までおばあちゃんの中では3歳の時の私のままだったのかもしれない。

 

私は涙が出そうで愛想笑いをするのが精一杯で何も返すことができなかった。

あの時明るく「大丈夫だよー」っと行ってあげれば良かった。

 

あれから17年、母がコーンマヨパンを買ってきた。

数日前、母とコンビニに行った時、「コーンマヨパンないかな、あれおいしいんだよねー」という話をしたのを思い出した。

 

子供はいつまで経っても子供、孫はいつまで経っても孫。

大きくなっても関係は変わらない。

ずいぶん大人になったけど、家族が「おいしい」と言ったものを買ってきてくれるとおばあちゃんの大学芋を思い出す。